スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

反発。

数年ぶりに、髪を染めた。
最後に染めたのは、多分大学の頃だったと思う。

茶髪くりくりパーマだった私が、地毛ストレートでずっときていたのは、単に髪が傷みすぎていたからと、留学中染めなくなった→帰ってきてすぐ採用試験だったから…。
もともと地毛が茶色いので、気にしなかったのもある。

けれど、久しぶりに髪を染めた。

施術後、鏡の中に映る茶髪の私は、懐かしいけれど、見慣れなかった。

もうすぐ始まる来年度に向けて、人事が動いている。

私は、自分ではまだまだまだまだ役不足と思うようなポジションに、是非ついてほしい、と言われた。
そのポジションは、多分学校でも一番しんどいところのひとつだと思う。
未熟者の私が、務められるとは到底思わない。
けれど、断ることができる状況じゃないことも頭では理解している。
それが、苦しかった…。

何より…来年度には私にとっての支えだったものがいくつもなくなることが決まっている。
例えば信頼していた先生や、仲間…
この間卒業していった大好きな生徒たち…
そしてもうひとつは、それを引き受けることでなくなる、子ども達の側で笑い学び続ける未来だ。

ギリギリで頑張ってきた私に、なくなってしまった支えと、そして降ってくる重責…
増えていく苦しみとストレスに耐えられなくて泣いた。

「マリー・アントワネットみたいに、ある日起きたら髪が1日で、真っ白になってしまってたらどうしよう…。」

そう呟いた私に、母が明るく答えた。

「染めたら良いやん♪それだけのことやん(*^^*)」

笑顔になれた。

何かが変わった訳じゃない…でも、その言葉を聞いてふと楽になった。

数年ぶりに、髪を染めた。
まだ白くなった訳ではないけれど、そうなってから動きたくなかった。

ずっと我慢して「良い子」でいた。
そのお陰で得られた信頼と評価はあるけれど、それで降りかかるものや失うものもあると知った。

ストレスに押し潰されても、塗り直していけるようにしたかった。
大丈夫だと思えるようになりたかった。

そんな私の気持ちを分かっている母や先輩は、
「私、グレるからっ☆」
といって染めた私に、

「グレてもその程度って…☆もっと期待したのに…」
「結局「良い子」やな、笑」

と、少し茶色くなっただけの髪を見て笑う。

髪の色を変えても、自分の色が変わる訳じゃないことと、
私にはこうして支えてくれる人達がいるということを感じた。

もうすぐ来年度と共に迎える30歳の一年…
しんどいこともたくさんあるし、寂しくもなると思う。
でも、そんな状況だからこそ、もっと心に隙間を持たせて、私のまま歩く。

「良い子」でいようとするのはもう、やめるんだ。
私の範囲で、だけどね(^^)

でも、やっぱり…もう少し、子ども達の一番側で、一緒に成長していきたかったな。



スポンサーサイト

3月14日

3年前の4月1日…私が27歳になった日。
満開の桜を眺めながら、私はこの中学校に来た。

来て早々に、1年生を担任することを知らされる。
受け持つクラスは、1-2…。
名簿にあった一人ひとりの名前を見ながら、どんな子なんだろうと思いを馳せ、その名前の持ち主たちに会える入学式の日を、指折り数えた。

あれから、3年の間に、担任したクラス、1-2・2-5・3-2。
3クラス計96人…。
自分の学級の生徒たちを、娘・息子と呼ぶ私に、嫌がっているような言葉を言いながらもいつも笑顔で返してくれるあの子たちが、可愛くて仕方がなくなった。

担任した生徒だけでなく、学年の子どもたち全員の名前と顔を覚え、一人ひとりの性格や好きなものさえ軽く思い浮かべられるようになった私は、
また、日付を指折り数えるようになった。

3月14日…卒業式。

幼かった子ども達が立派に成長して巣立ってゆく姿を見るのを、楽しみにしていた。
けれど、その日が来てほしくなかった。

私のそんな二つの矛盾する気持ちが膨らんでいくのなんてお構いなしに、カウントダウンカレンダーは、一日ずつ、その日数を減らしていく。

卒業式前日、教室での最後のクラス学活。
1年生や2年生の修了式でさえクラスの子たちとぼろ泣きした私は、
案の定この日もぼろ泣き。。。

「先生早い、笑」と言いながらも、涙を浮かべてくれたみんなと離れることを、想像するのも嫌だった。

けれど、卒業式は来る。

3月14日…。
この日、2年半、ずっと学校に来れていなかった女の子が、卒業式に来てくれた。
毎週毎週家庭訪問をする中でできた私との信頼関係を、信じてくれた。
初めて、クラスが全員そろった。

「私も頑張って名前は泣かずに呼ぶから、みんなも大きな声で返事を私に届けてね」
と伝えた私の言葉にうなずいていた3-2のみんなは、
約束通り、私の呼ぶ声に対して、大きな声で返事を返してくれた。

私語が多く、うるさいクラスだった。
男女関係なく本当に互いに仲が良く、笑いの絶えないクラスだった。
いつもいつも、真っ直ぐに私の想いを受け止めてくれるクラスだった。

だから、卒業生退場の場面…
一人ひとりの顔を確認したとき、起立の合図を出したとき、
立ちあがったみんなと最後の花道を歩くとき、涙が止まらなかった。

寂しい…。本当に、寂しくてたまらない。

自分たちで卒業式を作り上げた生徒たちは、本当に素晴らしい式を見せてくれた。
毎日学びと幸せをくれた学年だった。

式が終わり、外に出て、クラスごとに集まったとき、
「みんな、円になろ」と一番に声をかけたのは、
二年間担任したクラスのやんちゃなサッカー少年。

その声で円になった3-2は、せーの、の掛け声とともに、

「先生、1年間ありがとうございましたー!」

と言って、花束と色紙を渡して私を号泣させてくれた。

そしてさらに、その後写真を撮る時間をすごし、
色んな生徒たちといれかわりたちかわり、たくさんの写真をとっていたとき、今まで担任してきた生徒がそばに来てはお礼を言ってくれた。
涙を流してさびしがってくれた子たちもいた。

そして、卒業生が門の外に追い出される(ぉ)まで残り10秒の声がかかった時、

「先生!ちょっと来てください」

と大きな声で呼んだのは、2年生の時の担任してたクラスの学級委員の男の子&仲間たち…。

「誰から行く?」
「よし、1年から行け!」
と言って、1年生の時に担任していた女の子に渡されたのは、
元1-2全員の寄せ書きが書かれた色紙。

あまりの驚きと嬉しさに、ここでまた、号泣。

しかし間髪入れず、「次2年!」
と言って、今度は2年の時に担任していた男の子から、
元2-5の寄せ書きが書かれた色紙を渡される。

そしてさらに最後に、3年生のクラスの学級委員の女の子から、
赤いファイルが渡された。
それは、担任をしたしないに関係なく、1ページずつ、
いろんなクラスの生徒からのメッセージが詰まったファイルだった。

色紙もメッセージも、一体いつ集めてくれていたのか。。。

泣いている私を見て、「よし、勝った!」と言う生徒…
何の勝負何だかよく分からないけど、泣かせたかったことはよく分かった。

本当に嬉しい。だけど、寂しい…。

「大好き」がたくさんつまった手紙・色紙・メッセージ…

しんどい時も、つらい時も、たくさんたくさんあったけど、
いつも、未熟な私なりにだけど、一生懸命向き合って来てよかった、と思えた。

見ててくれて、ありがとう。
信頼してくれて、ありがとう。

みんなと離れてしまうのは寂しいけれど、
もらった想いと学びを支えにきちんと立って、進んでいきます。

そばにいることはできなくても、心をそばにおいて、
ずっと見守らせて下さい。

たくさんの想いを、ありがとう。

私は、幸せです。

出会えて、良かった…。その存在に、感謝します。



プロフィール

*Ayaka*

Author:*Ayaka*
Name:あやか
Age/Sex:29/Female
Location:
Osaka, Japan/Bangkok, Thailand

+About Ayaka+:
大学院留学から帰国し、
現在日本で英語教員をしながら、精進中です。
最近はまっていることは、お菓子作りとビリヤード。
バンコクのど真ん中で大学院生をしてました。
タイ語はあまりできません。
ただ、ぼられない様にしていたら、ショッピング時だけ流暢に話せるようになりました、笑。
ちなみに院では英語ばかり使っていました。

どうぞよろしく


※!!注意!!※
このブログ内では大体…
1バーツ(B)=3~3.5円(¥)
で計算してます。

詳しいレートは↓↓

カレンダー

02 | 2014/03 | 04
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

最近のトラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。